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The Adventure of English 第4回

2013年10月24日

< English and the Language of the State > 

1.王国の公用語

 百年戦争も後半に入った1415年、England 国王ヘンリー5世麾下7000の軍が、数的には圧倒的に優位だったものの統制のとれていないフランス軍(20000)を、フランスの北端に位置するアザンクール(英語読みではアジンコート)で打ち破りました。フランスとの条約で自らのフランス王位継承を認めさせたヘンリー5世はフランスで急死しますが(1422年)、その後を継いだ(生まれてまもない)ヘンリー6世の下、短期間とはいえフランス王国は England  王国に統合されます。この時期が百年戦争における England の戦運の頂点でした。

 ヘンリー5世は England に宛てたこの大勝利を報告する手紙を英語で作成します。前回お伝えしたように彼の父であるヘンリー4世は国王として英語を話し始めたとはいえ、王国の公文書はその後もフランス語で作成されていました。ヘンリー5世は戦いでフランス軍を打ち負かしただけではなく、王国の文書作成の面でもウィリアム征服王以来350年続いたフランス語による伝統を破りました。もっともこの時点では国王による英語での文書作成は、支配する側が最終的に民衆の言葉である英語を受け入れたとも、又は単にそのメッセージをより広く伝える手段として英語を使ったに過ぎないとも考えられていました。

 しかしヘンリー5世はフランス遠征からの帰国後、国王の親書、勅書に使う国璽(国王の印章)を管理する王国の重臣である国璽尚書に対し英語を用いて公文書を作成するよう命じました。若くして病死したヘンリー5世ですが、その遺書も英語で書かれました。戦場におけるのと同様、国王自らが先頭に立てばその臣下は当然のように後に続きます。かつてのアルフレッド大王の時代のように英語を国民の統合の象徴とするために、国王の指示に基づいて国民の誰もが読むことのできる公式の標準英語を創造するという”大事業”が始まりました。

2.文語(書き言葉)としての英語の標準化

 先程”大事業”と表現しましたが、その理由は以下の内容からご理解いただけると思います。現在でも England  北部の住民の英語が南部の住民をまごつかせることは珍しくないようですが、当時各地で使われていた方言のヴァリエイションはその比ではなかったようです。

 例えば、現在の running は北部では runnand、ミッドランド東部では runnende、ミッドランド西部では runninde と発音されていました。しかし発音面での相違は語彙の綴りにおける多様性と比べると大きな問題ではありませんでした。その代表的な例である ”church” は南部では”church” と発音されていましたが、北部では一般的に “kirk” でした。しかしその綴りに目を向けると、”kirk” は kyrk , kyrke, kirke, kerk, kirk, kirc, kyrck, kieche  などがあり、”church” は churche, cherche, chirche, cherch, chyrch, cherge, chyrche, chorche, chrch, churiche, cirche, 更に schyrche, scherch, schereche, schirche, schorche, schurch, schurche, sscherch というのも存在していました。ここまでで既にめまいがしそうになりますが、”through” にはなんと500以上の綴り方があったとされています。

 上述した”大事業”とは英語で公文書を作成する際に、それぞれの語彙について多岐にわたるスペリングの中からどれを選ぶのかという選択の問題に置き換えることができます。これは官吏にとっては悪夢であり、更に悪いことにほとんど統制不能の問題でもありました。

 このスペリングの標準化という大問題がこれまで表面化しなかったのは、王国の公文書はフランス語、またはラテン語で作成されてきたため、英語の綴りが各地で異なるということについて、王国の官吏は英語による文書作成の必要性に迫られるまで誰も気にかけなかったからです。

 この難題を解決する責任を担ったのは王国の機関のひとつである Chancery (Chancecellery を短縮したもので裁判所、税務署、一般行政府を兼ねていた組織で通常”大法官府”と訳されています) が担うことになります。ここでは12人の Masters of Chancery  と呼ばれた上級の職員が最終的にどのスペリングを使うかを決定しました。 any, but, many, ought  や ”I”  に加えて ”ish” (更に様々なヴァリエイションが存在しました)も使われていたのを、”I” に統一したのはその成果の一部です。

 Masters of Chancery は“天才”チョーサーが使っていた綴りさえ変更しています。チョーサーによる ’nat’, ‘bot’, ‘thise’, ‘thurgh’ はそれぞれ ’not’,'but’, ‘these’, thorough’ が”標準”とされました。

 しかし、その標準化によって box  の複数形は boxes であるにも拘わらず、 ox の複数形は oxen、house の複数形は houses なのに mouse  の複数形は mice となる例が示すように、現在においても英語学習者を悩ませ続けている「規則に一貫性がない」という問題をも生み出しました。上記の、ox, oxen は古期英語の生き残りであり、複数形を表すために名詞の語尾に “s” をつけるのは一般に外来の語彙でした。

 この「一貫性がない」という問題の背景には、スペリングの標準化を進める過程で二つの異なった考え方が混在していたことがあります。一つは綴りをできるだけ実際に使われている発音に合わせるという改革主義的な考え方です。二つ目はこれまで使ってきた綴り方にこだわる伝統主義的なものです。更に各語彙の語源をより明確にし、加えて古代ローマ以来の伝統を誇るラテン語が持つ一種の品格ともいうべきものを付与したいという思惑を有する第三の主張に基づき、一部のフランス語を語源とするものが更にその語源であるラテン語風の綴りに(無理やりに)改められました。黙音である b が加えられて debt や doubt となったのはそのためです。古代のギリシア語が語源であると考えられていた語も同様にギリシア語風にするために、h が加えられて、throne, thearte となりました。

 書き言葉としての英語の標準化が進むのとほぼ同じ時期に話言葉の分野では大母音推移 (The Great Vowel  Shift,、1400年~1600年ごろ)により英語の発音が大きく変化します。それ以前には、例えば ”I name my boat Pete.” は現代人には “Ee nahm mee bought Peht.” のように聞こえるということです。この大母音推移とは、この The Adventure of English の作者である Melvin Bragg  氏によれば、「その内容を調べるのに一生涯かかり、その説明に更にもう一生涯必要である」ということなのでここではこれ以上触れません(現在も原因や結果についての新たな研究が進行中のようです)。幸いなことに、書き言葉の標準化は後述する活版印刷の普及とあいまって大母音推移の影響が及ぶ以前に終了することになります。

3.最初の Information Age の到来

 最初の活版印刷術は1453年に神聖ローマ帝国(ドイツ)のマインツにおいてグーテンベルクによって発明されました。本を大量に印刷することが容易になったおかげで、コミュニケーションのコストが1000分の1に下がったといわれています。England 最初の印刷工場は Willam Caxton によって1476年に開設されました。

 Caxton が印刷したのはロマンス、哲学、歴史、モラル等に関するもので王国の公文書ではありませんでしたが、Masters of Chancery と同じように出版の際に個々の語彙のスペリングを決定しなければなりませんでした。例えば、古代ローマの詩人ヴェルギリウスの詩を英訳する際に”卵”を “eggs” としたことで、これがその後において一般的に使われるようになります。。

 公文書作成における Masters of Chancery と Caxton のような民間の印刷業者によるスペリングの決定は、先述したように首尾一貫していないという問題点は残ったものの、文語の面で標準語を創造するという”任務”を見事に達成しました。又、Caxton が日常使われていた語彙の大半の綴りを彼が住んでいた London 及び南西部の方言に基づいて採用したことで、それらが新たな標準語の基盤となります。

 

  これにより Englnd において英語が浸透していない主要な分野は、学問を除くと宗教だけとなりました。次回は“神の言葉”を一般民衆が直接自国の言葉で理解できるようにするためのラテン語との戦いがテーマとなります。

 

To be continued.