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The Adventure of English 第10回

2013年12月04日

 前回登場したサミュエル・ジョンソンがその辞書を出版した後に、語彙の整備の次は文法であると言わんばかりに文法学者、文法家の一大軍団が後に続きます。その中で他を圧倒したのがロバート・ロウス (Robert Lowth)  でした。彼の Short Introduction to English Grammar はその後40年間で22回改訂されました。これにより一定の文法構造が”正しい”とされ、それ以外は単に”不正確”であるだけではなく”不作法、無教養”とされるようになりました。ロウスの”規範的”文法を解説する多くの文法学者(文法警察)が登場し、彼らは今日に至るまで”正しい英語”を守る為に断固として戦い続けています。

 ここにおいて、 lie (横になる、自動詞)と lay  (~を横にする、他動詞)の区別が明確にされ、different ‘from’    が different ‘to’ よりも好ましいとされ、between you and I  は排除され (前置詞 between  の目的語として主格の I ではなく、目的格の me となる)、又 ’than’  ,  ‘as’  の後の人称代名詞の格変化に関してロウスは文脈から理解される若しくは暗示される構造によって決定されると宣言しました。具体的には、he is older than she  (is)  であり、he likes me better than her  (he like her)  となります。更に口語の分野では現在でもよく使われている規範的文法に基づかない”二重否定”、例えば ’I don’t need no money. ’ は不適切とされました。 (ロウスおよび、規範的文法において正しいのは  Idon’t need any money.)

 19世紀には少なくとも856冊の様々な文法書が刊行され英語を”型にはめよう”としました。しかしその大半は短期間にわずかな影響力を持っただけで姿を消していきました。ロバート・ロウスとの文法をめぐる戦いでは敗れたものの、ジョセフ・プレストリー (Joseph Prestley)  の「文法は一般的な用法によって決定されるのであり、文法学者を自任する者に支配されるべきではない。」という言葉の通り、言語はそれ自体がその使われ方と自然淘汰を通じて、生き残る可能性のあるものが生き残る(適者生存)ことになります。とりわけ英語はこれまで見てきたようにその源泉が如何に取るに足らないように思えても、あらゆる外部的影響に”開放的”なのです。

<  The Proper Way to Talk  >

1. True Pronunciation  「正確な発音」

 ジョンソン博士やスウィフトによる啓蒙主義を背景とした楽観的な信念、即ち、英語には一定の秩序が必要であり語彙を、更に英語自体を統制しようとする企ては失敗に終わりますが、”英語警察”がひるむ気配は全くありませんでした。活版印刷の普及と大法官府によるスペリングの標準化に向けた努力(第4回を参照)の成果として、この時代には正確に言葉を綴るということは広く受け入れられるようになりました。又、本の普及によって書き言葉(文語)が話し言葉(口語)に介入し始めます。最も優れた話し方とは最も優れた文章のようであるべきだと考えられるようになりました。このような流れの中で、主戦場は”正確な発音” (true pronunciation) へと移ります。

 ところが、英語の綴りと発音の関係は正に”悪夢”と言うべきものです。英語の綴りは発音に即したものとは到底言えないことはご存知の通りです。例えば、母音の ee  (発音記号では iː ) となるスペリングのパターンは少なくとも7つあります ( free     these     leaf     field     seize     key     machine  )。

 このような現実を直視することなく”発音警察”が出現します。この先駆者がアイルランド出身のトーマス・シェリダン (Thomas Sheridan )  でした。彼の最初の重要な著作が1756年に出版されます。そのタイトルは、いみじくもBritish Education  でした。 Way of Speaking , Pronunciation  というタイトルを避けることで、彼は「もしあなたが自分の言いたいことを最善の方法で話したいのであれば、あなたに必要なのは”教育”であり、この本がそれを提供します。」というメッセージを送りました。シェリダンは英語における様々な発音の種類を分類し、二重母音や音節の区別を明確にした最初の一人でした。

 彼は1757年に発音に関する一般向けの講義を  Dublin, Edinburgh, Oxford, Cambridge, London  で行い、多数の社会的影響力を持つ聴講生を集めます。彼のアプローチに対して一番好意的な反応を示したのが教育熱心だったミドル・クラスでした。1762年には、「発音は人が育ちの良い仲間と交流しているということのある種の証明なのです。それ故正しい発音は世間の動向に敏感であると、そして上流階級に属していると思われたい全ての人の目標とされています。」と述べています。

 万が一それが説得力を持たない場合に備えて、彼は「もし、それ(全国民が適切に発音できるようになること)によって、英語が言葉遣いと発音の両面において浄化を達成したことを国王陛下の全ての臣民が容易に表現できることになる一つの途が開かれたとすれば、その結果として同じ国王の臣民の間に存在する不愉快な(話し方の)相違の解消に大いに貢献することにならないでしょうか。」とも述べました。確かに拒絶するのが困難である優雅な申し出でした。

 当然のことながら、シェリダンの適切な発音を通じて国民を統合しようとする試みによって、彼は”適切に話す”グループと”不適切に話す”グループ間の深く終わりのないギャップを生みだすことにも大いに貢献してしまいました。後者は社会が前進する為に越えるべき障害として嫌悪されました。アクセント (accent)  という本来ある単語を発音する際に強調すべき部分を示すにすぎなかった言葉自体が、発音の方法という意味を帯びるようになります。

 そもそも、誰が”適切な発音”を決定するのでしょうか。例えば、’a' は今日では”長め”に発音することが標準的であり優れた素養を示すマークであると多くの人によって考えられています。しかし1791年には、言語学者のジョン・ウォーカー (John Walker)  はその著作 Pronuncing Dictionary  において、”長い” ‘a’   は無教養で不適切な話し方をする人々だけがそのように発音すると述べました。 ‘cat’  におけるように短い ‘a’  が優雅、適切で正しいと主張したのです。

2. William Wordswroth

  18世紀の後半、England  の北西部に位置する湖水地方でロマン派の詩人、ウィリアム・ワーズワース (Willam Wordsworth、1770~1850) が誕生しました。 Melvin Bragg 氏によるとワーズワースの英語に対する貢献の一つは、人間の深い感情を表現する為に詩を特別な言い回しや繊細な語彙で飾る必要はなく、人が普段使う言葉によって表現できるという点について明らかにしたことでした。

 ワーズワースは湖水地方での質素な田園生活の中に詩の着想を得ました。彼はその理由を、「そのような環境の下で、心の内にある理想的な情熱が成熟することのできるよりよい土壌を見出し、心は束縛が少なく、平易で明晰な言葉を使うことになります。なぜならそのような生活において私達の基本的な感情はより純真な状態で存在し、その結果より正確に思考をめぐらすことになると言えるからです。」と述べています。

 もっとも、ジョンソン博士がシェイクスピアに対してさえ、肉屋や料理人などの職人の道具であるナイフ (knife)   という語彙を用いたことを批判した事実を考慮すると、ワーズワースがその強い思いを平易な言葉で表現したことは大胆かつ重要な一歩となりました。彼は自分が背負っていることの重さを理解していました。彼は当初、そしてその後も長い間一般大衆の声をあえて詩の世界に持ち込んだとして非難されましたが、ある意味で彼は英語を民衆の言葉であった古期英語の原則へ連れ戻したと言えます。

 同時代の1790年に、アメリカではトーマス・ペイン (Thomas Paine) がその著作 ”人間の権利、The Rights of Men” において平明な文体であっても思想と表現したい内容を正確に描写することは可能であることを明示しました。政治思想に大きな影響を及ぼしたペインの作品と、詩作の面で更に大きな影響を与えた若き詩人ワーズワースは英語の表現における本流となる途を開いたという共通点を有していました。

3. 過ぎたるは及ばざるがごとし

 その間、品のある話し方は品のある社会そのものと見なされるようになっていきます。礼節をわきまえた社会は適切な話し方の中で形成されるという考えです。適切なアクセント(発音)、適切な語彙の選択、文法的正確性など言語に関するあらゆる事柄が、”その道の第一人者”の手の中に落ちて行きました。そのような第一人者の一人として文学的素養を身に付けた女性の小説家ジェーン・オースティン (Jane Austen) が登場します(元々、小説は大衆向けのものとして時には蔑まれ、女性にのみ適していると考えられていました)。オースティンの文体は啓蒙主義とロマン主義の下で、それまで誰も達成することはなく、それ以降もごく少数の作家だけが到達することのできた孤高の地位へと登りつめました。

 小説を読むことは18世紀の終わりから19世紀にかけて、安い値段で大衆にとっては高価だった小説を読むことができる民間の巡回図書館の流行とともに一般的になりました。19世紀の初めには教育の普及、識字率の上昇、本の値段の下落によって小説の人気はますます高まり、小説自体が詩や戯曲と同じように機知、聡明さ、奥行き、多様性を伝えることができるメディアであると看做されるようになりました。「たかが小説!」とのたまったジョンソン博士が生きていたら信じることはできなかったはずですが、以降小説が優れた英語の水準点となりました。

 その彼女にも限界がありました。市井の粗野な言葉は完全に締め出され、人の身体の部分を表す語彙を使うことも許容しませんでした。彼女が範を示した”適切で正確な言葉の使い方”は数多くの読者の心や感性の中に浸透していきます。彼女の作品の愛読者がやがて作家として小説を執筆するようになると、表現のみならず行動においても何が適切で何がそうではないかという点に関して明確で厳格な不文律を自らに課した女性も少なくありませんでした。ののしりの言葉、口汚いとされた語彙は禁句となりました。 Tristram Shandy  という作品に登場する二人の尼僧は、いうことを聞かないラバの向きを変える唯一の方法が ’bugger”  (いやなやつ、畜生)という言葉を発することだと理解していましたが、そのような言葉を口にするのは非常に罪深いことであるという知識によって妨げられていました。そこで、二人はその言葉を  bou  と ger  という二つに分けることにしました。そのいずれの音節もそれだけでは罪にはなりません。一人が ’bou, bou, bou’  と叫び、もう一人が ’ger, ger, ger’ と叫んだのです。

 19世紀  England  の洗練された活字の分野では、上述したような潔癖性が優勢となり、英語は無理やり一定の型にはめられるようになります。道徳による言語の検閲です。全ては英語をしかるべき場所に置く為の努力の一環でした。しかしこの”悲喜劇”は”英語が持っている力”への証言でもあるのです。適切ではない語彙を削り、表現やフレーズを切り刻むことによって社会に秩序を与えるつもりでいた(誰が依頼した訳ではないのですが)自ら検閲家を買って出た一群は、社会を完全に統制できると考えました。シェイクスピアでさえ検閲家の手から逃れることはできませんでした。実際、シェクスピアは”検閲家”の一人である Thoms Bowdler  の名前に由来する  Bowlders  の主要な標的となります。

 Bowlder は、適切な修正なくしてオリジナルのままでは自分の娘達にシェイクスピアの作品を読ませることはできないと考えました。特にオセロー (Othello) は Bowdlers  にとって不適切な表現の宝庫であり、彼らによる”家族向け”ヴァージョンでは多数の”修正”が加えられました。一つだけ例をあげると「彼女は裸で男友達とベッドにいた」という個所で、“裸”という文字が削除されました。

4. 統合と分化

 このような状況において、紳士であることの証として家系や富とともに”正しい発音”が加わるようになります。英語が上流を志向する人々の手段となり、社会的階層の分化を支援する役割をも担うようになりました。この区分は England  の文化の中枢へと入り込み、今日の生活の一部ともなっています。文法家(文法警察)は今でも言い回しを追跡し、そこに誤りがあれば喜んで襲いかかります。英語の矯正は”主要な室内スポーツ”の一つなのです。そしてこれはある意味、全体として善意に基づいていると言えます。名もなき英語の守護者の軍団は英語が無限の価値を備えていることを正に認識していて、それ故英語を優れた状態に保ちたいのです。

 英語は国民をまとめる素晴らしい力を有しているのと同じ程度に国民を分化する能力も持っています。国、地域、都市、町、そして村において現在も当惑するぐらい様々な話し方が存在しています。これにある特定のグループにおいてのみ通用するスラングが加わりますが、どこであろうと伝統あるパブリック・スクールの一つの学寮には、そこでのみ通じ他人には理解できない話し方があるはずです。 

 最後に、 ‘r’  の発音に関する非常に興味深い事例が登場します。19世紀の初め、詩人のジョン・キーツ (Jhon Keats)  は、誤った押韻であると非難されました。例えば、’fauns’  (牧神 faun  の複数形) と ‘thorns’   ((草木の)とげ、はり;針 thorn の複数形)、’thoughts’  と sorts’  などがその対象でした。”適切な話し方”においては、単語を構成している ‘r’  は発音すべきであるとされていました。しかし当時も今も多くの人は その  ‘r’  を発音していません。従って、’lord’  は ‘laud’  と聞こえるはずです。この ’r'  の省略はコックニー・ライム (cockney (London子の) rhyme,  )として知られていましたが、キーツはそれを詩に取り入れたのです。その後、19世紀の末になっても(1880年)、詩人でイエズス会の聖職者でもあったジェラルド・マンリー・ホプキンス (Gerald Manley Hopkins)  は、’r'  が発音されないキーツの韻は「実際耳にではなく精神にとって不快である。」と述べました。

 語彙の発音(記号)を確認する為に、頻繁に英和、英英辞典を引いている方は既に意識されていると思いますが、現在の傾向として先ほど例に挙げた  thorn, sort, lord  はいずれも  ‘r’  を発音しない方が一般的のようです。各々の発音記号は私が使っている電子辞書に入っているジーニアス英和辞典では、[θɔən : θɔːn]  [sɔət : sɔːt]  [lɔəd : lɔːd]  と記載されていて、’r'  の音は含まれていません。一方で、同じ電子辞書中の Oxford Advanced Learners  Dictionary (OALD)  の 8th Edition では NAmE  (アメリカ北東部の米語)との注釈付きで、いずれの語も ‘r’  の音を発音するように記載されています([ θɔrːn,  sɔrːt,   lɔrːd])。 このシリーズの第7回でお伝えしたように、アメリカの北東部の New England  は英語の”本家” England  の”発音警察”が泣いて喜ぶような規範的発音を継承しているようです。

 

 次回は英国が他国に先駆けて産業革命を成し遂げたことによって、英語も科学技術の分野で標準言語の地位を獲得していく前向きな面と、階級制度を支えることとなる後ろ向きの面からなる英語の二面性を取り上げます。

 

To be continued.