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The Adventure of English 第2回

2013年10月09日

 最初に前回何度か言及した”ラテン語”について簡単に触れておきます。ラテン語は共和政期、帝政期(紀元前509年~紀元476年)を通じて約1千年間、古代ローマにおける公用語でした。476年、西ローマ帝国の滅亡によって歴史上の区分としての中世が始まると、旧西ローマ帝国の領内における口語としてのラテン語は、ローマ本土や属州を統括する中央権力の消滅によって地域ごとに俗語化が進み、イタリアではイタリア語、ガリアではフランス語、イベリア半島ではスペイン語、ポルトガル語へと変容を遂げます。これらがロマンス語 (Romance Language, ローマ風の言語)と呼ばれるものです。一方で文語としてのラテン語は中世から現代に至るまでカトリック教会(ローマ帝国の末期の380年にキリスト教は国教となりました。同じころに旧約・新約聖書もオリジナルのヘブライ語、古ギリシア語からラテン語へ翻訳されます)の公用語としての地位を維持します。中世における教会の権威は絶対的であった為、学問の分野においてキリスト教の教理を研究する神学が最高位を占めることになり、中世以降ラテン語はヨーロッパの学者、知識人にとっての公用語ともなりました。

 1687年、アイザック・ニュートンが天体の運動や万有引力の法則についての理論を体系化した Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica (日本語では「自然哲学の数学的原理」又は「プリンキピア」)は、そのタイトルが示すようにラテン語で出版されました。

 BBC の The Adventure of English は、オックスフォード大学では大学の主要行事は現在でもラテン語で執り行われているということを紹介しています。実際に卒業式(であると思われます)が英語ではなくラテン語で行われているシーン(私にはラテン語は全くわかりませんが)は非常に印象的でした。

 それでは英語がその歴史において最大の危機を迎える11世紀の後半以降に話をすすめましょう。

< English Goes Underground  >

1.Norman Conquest of England  「ノルマンのイングランド征服」

 11世紀前半に一時デンマーク王国の支配下に入った  England は、その後短期間ではあるもののアングロ・サクソンの王朝が復活します。しかしエドワード(懺悔)王が没すると、王位継承をめぐる争いが勃発しました。その結果、エドワード懺悔王から後継者として指名されていたと主張するフランスのノルマンディー公ギョームが、1066年にヘイスティングスの戦いでアングロ・サクソンの軍を破り、ウィリアム1世 (William the Conqueror、ウィリアム征服王) として England の王位につきます。

 ノルマン人は既に登場したデーン人と同様北方ゲルマン民族(ヴァイキング)に属し、古ノルド語 (Old Norse) を話していました。当時 England  を征服したノルマン人は、もともと住んでいた現在のスウェーデンからノルウェーにかけてのスカンディナビア半島からフランスに移り住んだ一派でした。ノルマン人による海賊・略奪行為に手を焼いたフランス王は、911年に既に占拠していた土地を含むノルマンディー地方を領土(報土)としてノルマン人の首長であるロロに与えました(ノルマンディー公国の成立)。

 このように公国の成立から150年が経過する過程でフランスに移住したノルマン人は、母国語だった古ノルド語を忘れフランス語(ノルマン・フレンチ語;フランス語の一方言です)を話すようになっていました。ウィリアム1世の戴冠式は英語とラテン語で執り行われましたが、王は終始フランス語しか話さなかったと伝えられています。そして England における英語を話さない(話せない)国王の治世はその後約300年にわたって続くことになります。

2.Domesday Book

  ウィリアム1世は征服した England の価値を厳格に評価すべく世界で最初の土地台帳の作成に取りかかります。その成果が Domesday Book (1085年) でした。台帳は課税の基礎資料となるため、調査は「一片の土地、家畜の一匹たりとも見落とさない」という断固たる決意のもと徹底して行われました。これに記載された内容は最終的なもので一切異議をみとめなかったことから、Domesday (キリスト教における最後の審判という意味、本来の綴りは Doomsday) と呼ばれました。 この土地代帳はラテン語で作成されました。 England の”資産価値”は英語ではなくラテン語で評価されたのです。

3.第3の言語

 既に述べたように、England を征服したノルマン人はフランス語を話し、又王国の公的な書類もフランス語(一部はラテン語)で作成され、宗教の分野ではカトリックの公用語であるラテン語が使われました。従って、英語はEngland における第3の言語にすぎなくなりました。ノルマン人に使えるアングロ・サクソンの数が増え、又、フランスから大勢の職人、商人が来訪し、英語はフランス語に影響を受けるというよりも飲み込まれてしまいそうになります。1066年以降の300年間に約10000のフランス語の語彙が英語の世界に入ってきたといわれています。

 まず、支配する側が”フランス人”だったため、司法・立法・行政という統治機構や軍事に関する語彙が流入します。 crown, baron, authority, law, court, justice, jury, arrest, castle, army, soldier, etc   一方で支配される側を表現する servant, obedience もフランス語が語源です。両者の立場の違いが端的に表れたのが次の例です。家畜の動物の名前は cow, pig, sheep  のように、それを育てる側のアングロ・サクソンの言語である英語が使われました 。それに対してその肉を表す語彙は支配する側(肉を食べる側)の言語であるフランス語を語源とする beef, pork, mutton  となりました。商業の分野では、merchant, market, money, price, discount, bargain, contract   などがフランス語を語源としています。 

 このフランス語の語彙が怒涛のように流入した時代に、英語一部の語彙はフランス語との競合をさけて意味を限定することで生きのびます。例えば、英語の apple はもともとは果物一般を示す語(表現)でしたが、フランス語を語源とする fruit が主流になると 現在のように特定の果物を表す語となりました。又、デーン人が Englnd の東半分を支配していた時代と同様に、英語の fight に対して同じような意味を持つフランス語を語源とする battle が併存するようになった例も見ることができます

 13世紀に入ると England の市民(当時のEngland の中産階級) の間で、Richard, Robert, Simon, Stephen, John, Jeffery, William といったフランス系の名前を名乗ることが流行ります。その一方で伝統的なアングロ・サクソンの名前である Ethelbert, Aelfric, Athelstan, Dunstan, Wulfstan, Wulfric 等は姿を消していきました。

 文語の分野においても、アングロ・サクソンの歴史を記録した「アングロ・サクソン年代記」の編纂(それまでいくつかの修道院で独自にすすめられていたものが、アルフレッド大王の時代に一旦統合されました)はノルマンの征服後も各地の修道院で続けられていましたが、時の経過とともに編纂を続ける修道院の数は減少し、ピーターバラ(ピーターボロー)の修道院による1154年の記録をもって途絶えます。当時のヨーロッパにおいて、唯一ラテン語ではなく自国の言葉で歴史を綴ってきた6世紀にわたる伝統の静かな幕引きでした。

 4.風前の灯

  このように、少数とはいえ England に封建制度を持ち込み、強力な支配体制を確立したノルマン人(当時の England の人口の3%から5%を占めたにすぎないといわれています)とフランスから渡ってきた商人、職人を通じてフランス語の影響は生活のあらゆる局面に及び、如何に英語が”開放性、吸収性”と”柔軟性”を発揮して過去の危機を乗り切った経験を有していたとしても、この状態が続けばやがて英語はフランス語に吸収されてしまうことは自明の理のようでした。かつてアングロ・サクソンは先住民族が使っていたケルト系の言語を Englnad から駆逐し、更に、今回の征服者であるノルマン人もフランスに根を下ろす過程でその”母国語”は古ノルド語からフランス語に移行していたのです。このことを考えると圧倒的に不利な状況下で、ノルマンの征服後の最初の150年を支配された側の言語である英語が生き延びたという事実自体が奇跡のように思えてきます。

 

 現時点から振り返ってみると (With the benefit of hindsight) 、上述したようにノルマンの征服から150年の期間が英語の歴史における最大の危機でした。この絶対絶命ともいえる状況の下で、やや時代を隔てた2つの”事件”がこの流れに歯止めをかけ、ひいては England の母国語としての英語の地位を復活させるきっかけとなります。

 

To be continued.