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The Adventure of English 第16回

2014年01月14日

<  Neverending Story  >

1.All Over the World

 種としての人類は一つの言語を話すことから始まったはずです。現在使われているあらゆる系統の言語の始祖となる言語が最終的に発見されるであろうと信じている言語学者もいます。世界の一部の人々はこのような人類の共通語を切望しています。これまでに一つの世界標準言語を創造しようとした試みはいくつかありました。それらの中でエスペラント (Esperant)  が多分一番有名でしょう。1887年にポーランドの眼科医だったザメンホフ  (L.L Zamenhof)  によって生み出されたエスペラントは、ロマンス語(第2回を参照)の語彙に基づいて世界共通の第2言語となることを目指していました。エスペラントは現在50カ国で約10万人が使っています。

 今日の世界で実際に起きていることは、強力な中国語圏の存在や南北アメリカ大陸でスペイン語が勢いを取り戻しているという事実にも拘わらず、1500年前に15万人のフリース人(第1回を参照)が話していた西ゲルマン語の一方言だった英語が世界中に広がっているという事実なのです。そして過去の100年間において、英語が言語としての豊穣性を維持し、インドやオーストラリアなど他の大陸からの英語が織り込まれる一方で、アメリカ英語(米語)がさらなる活力を与えています。

 アメリカ英語を特徴付けるものは合衆国のいずれの都市においても見ることが出来ます。そこでは最上階に ‘penthouse  ‘がある  ‘apartment’  からなる街区(ブロック)を目にすることになり、’mass media’  による情報氾濫に押し流され、’chain store’  に買い物に行き、朝食に  ‘hot dog’  を避けて  ‘cornflakes’  を食べ、’neon’  の海の下を歩いている  ‘commuters’  (通勤者)が目に入るでしょう。  ‘jaywalking’  (信号無視)は愚かな行為ですが、それが  ‘executives’  か ’yes-man’   でも  ‘fat-cat’  (金持ち)でもない ’go-gettres’  (やり手)の人達であれば、彼らは  ‘big business’  を追いかけている最中かもしれません。もっとも、彼らは  ‘assembly line’  (組み立て工場の製造現場)や ‘closed shop’  (労使協定で組合員だけを採用する企業)と何であれ関係はなさそうです。 ‘tarffic jam’  (交通渋滞)はよくあることなので、’speeding’  (スピード違反)や ‘joy-riding’  (無謀運転)は無理で、’underpasses’  ( 地下歩道)は少ない程望ましいと言えます。

 そしてもちろん、どの都心部でも  ‘skyscrapers’  (摩天楼)に囲まれることになりそうです。 ‘skyscraper’  は、穏やかな天候の下で気象の変化を予想させる上空のかすかな空気の流れを捉える為に、高空へと向けたライトを意味する海軍の用語として始まりました。次にそれは1788年のダービー (Derby)  の勝ち馬の名前だったので、以降一般的に背の高い馬がそう呼ばれるようになりました。後にそれはある種の帽子となり (Derby hat,  山高帽)、それから背の高い人間を表すスラングとなりました。それがアメリカに渡ると高く打ち上げられたボールを意味する野球用語になりました。今や世界共通でアメリカにおいて典型的な非常に高いビルのことになっています。

 英米で表現が異なる例として、寝室において英語では  ‘bedclothes’  (寝具(毛布とシーツ))であるものが、米語では  ‘covers’  となり、英国で  ‘dressing gown’  はアメリカでは  ‘bathrobe’  のことであり、英国の  ‘curtain’ 、’wardrobe’  はアメリカではそれぞれ、’drapes’、’closet’  となり、浴室は英国で  ‘tap’  ((水道の)蛇口、コック)のついた  ‘bath’  (浴槽)が、アメリカでは  ‘faucet’ (蛇口)のある  ‘tub’  (浴槽)となります。

  これまでのところ、米英人は概ね無邪気な毒舌をお互いの言語に浴びせてきました。その中には楽しいものもあります。コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge、英国ロマン派の詩人、哲学者 1772年~1834年)は、 ‘talented’  (才能ある)が不愉快なアメリカ特有の表現であると激怒しましたが、実際にはそれは英語が語源でした。これに対してアメリカの詩人ウォルト・ウイットマン(Walt Whitman、1819年~1889年)は、アメリカ英語は英語の伝統と権威から遠ざかることで、新たな素晴らしい言語として一から作り直されたものだと述べました。

 英国人にとってアメリカ人は“我々の言語”を台無しにしているとの恐れがあります。彼らは、’the inner child’  ((心理)内なる子供としての自分)、’have a nice day’、や  ‘authoring’   a book  本を“書く” などの表現を一体誰が必要とするのだろうかと疑問を呈します。残念ながら多くの人は必要としているようです。アメリカ英語は、’photogenic’  (写真写りのよい)、’beauty parlour’、’sex appeal’,’pop song’、’smash hits’  のように日常生活を支配しているかのように思われます。しかし経済や IT  の分野ではよりバランスがとれているようです。ほんの一部を紹介すると、’Big Bang’  (英、ここでは経済(金融制度)の抜本的改革の意味)、’Black Monday’  (米、1987年のニューヨーク株式市場の大暴落)、’cyberpunk’  (英、未来の超ハイテク社会を描いたSF小説)、’cyberspace’  (米、インターネット上の仮想空間)、’World Wide Web’  (英)、’Internet’  (米) などです。

 20世紀のアメリカ英語の特徴の一つは、アフリカ系アメリカ人からの影響です。20世紀初めに登場した  ‘jazz’  と  ‘blues’  はポピュラー音楽を変えました。20世紀が進むにつれて、若い世代はアフリカ系アメリカ人の表現を自分達の世代の象徴とみなすようになります。その誰もが、’square’  (まじめ、堅苦しい)ではなく、’cool’,  ’groovy’  (いずれも”かっこいい”)、’mellow’  (魅力的な) であることを目指しました。

 アメリカ英語の源泉にとって、人だけではなく文化も同じように重要な役割を果たしました。その代表は  ‘talkie’  ((やや古)、発声映画、talk  +  movie)です。 ’movie theater’  (映画館、英では cinema)に行って、’Technicolor’  ((登録商標)テクニカラー)の ’movie’  (映画)に出演している  ’stars’  (映画スター)を  ‘close up’  (クローズアップ)で見ることになります。その発声映画が英国に到来すると、何百万人もの英国人がそれに飛びついて、映画スターの髪型をまねするのと同じくらい熱心にアメリカ英語の単語やフレーズを吸収し、アメリカのアクセントを取り入れるようになりました。文化面の民主的投票では圧倒的にアメリカが優勢で、英国人はアメリカ人をまねることでアメリカ英語をほめそやすことになりました。しかしそれに反対する側もひるむ気配はありませんでした。二つその例を紹介すると、最初に「 ‘to help make”、’worthwhile’、’nearby’、’ colourful’  のような本当にいまわしい大西洋の反対側からの輸入品はまるで疫病のように広がりつつある。」(Daily Telegraph 誌、1935年)、次に、「その言葉やアクセントはまったくもってむかつくもので、アメリカ映画が社会に邪悪な影響を及ぼしていることに疑いの余地はない。」(保守党の議員である、Sir Alfred Knox のプレスインタヴューより)

 英米の”兄弟げんか”はさておいて、20世紀中に英語は世界中に氾濫し、紀元2000年までには、ラテン語が公用語であるヴァティカンの頂点に立つポーランド出身のローマ教皇(ヨハネ・パウロ2世)がヘブライ語が公用語であるイスラエルのエルサレムに到着した際英語でスピーチを行っても、そして国連に加盟している国家の多くの外交官がプレス・カンファレンスにおいて英語で話しても誰も驚くことはなくなりました。日本では、義務教育の一環として英語を学び、日本語英語として  ‘beer’  や  ‘ice-cream’  がビール、アイスクリームとなったように、第二次世界大戦後日本に駐留していたアメリカ兵は、’honcho’  (班長)、’kamikaze’  (神風)、’sukiyaki’  (すきやき)、’tsunami’  (津波)などの言葉をアメリカに持ち帰りました。

 21世紀初頭の時点で英語を第一の言語として話しているのは約3億8千万人で中国語の10億人には及びません。しかし、必須の第2,3言語としてインドやシンガポールなどで約3億人が英語を使い、更に、例えばマレー語とロシア語のようにお互いに異なった言語を話す人々がいずれかの言語ではなく英語を使うケースは非常に多く、そのような人口は10億人を超えると言われ、その数は急速に拡大しています。

 最後に全く別の角度から各言語の強さを判断する為に、言語別の経済的指標(国民総生産額を言語別に合算したもの)を見てみましょう。10億ポンドを単位とすると、中国語は4480億ポンド、ロシア語は8010億ポンド、ドイツ語は10090億ポンド、日本語は12770億ポンドであるのに対して、英語は42710億ポンドとなっています(*この数値はあくまで21世紀初頭のものです)。英語はグローバルな取引の言語であり、世界市場で常に在庫(需要)がある言語と言えます。

2. And Now…….  ?

 これまで見てきたように英語は何世紀にも渡り見事なまでに他の言語から語彙等を吸収し、多くの場合それらに永久に廃れそうもないような英語としての属性を授けてきました。今度は英語が他の言語に吸収される番です。その一部を紹介すると、ロシアでは、’futbol’、’chempion’、’khobby’ (hobby)、’klub’、日本では ‘rajio’、’konpyu-ta’、’kare raisu’ (curry rice)、等英語を語源とする非常に多数の語彙が使われています。

 その一方で確かに一定数の国で、ガンジーがその過激な例ではありますが(第12回を参照)、英語の使用は自国の言語を隷属化し危機的状況をもたらすと考えている人々がいます。英語の語彙の充実に最大かつ一方的に貢献してきたフランス語は、20世紀の半ばを境としてその流れが逆転しました。フランス人はこのことを非常に嫌っています。しかしやや冷酷に思われそうですがフランス人は、’le weekend’、’un holiday’、’le parking’、’le building’、’le jogging’ など様々な英語からもたらされた言葉を使っています。1994年にフランスは適切な同義語が存在する場合、英語の語彙を使うことを禁止する法律を成立させました。違反に対する高額な罰金はこの法律の実効性に寄与しているはずです。もっとも、現実の生活で使われる言葉と政府による検閲のいずれが勝利するかについては時が決めることなのでしょう。フランスの母国語への懸念はEU内でのフランス語から英語へのシフトによって増大しています。ヨーロッパで英語を話すことができる人口はフランス語を話すことができる人口に対して3倍であり、その差は拡大しています。

 数多くある英語の将来像についての予測の中に、時の経過とともに 最初に Englamd、次に大ブリテン島、そしてアメリカ、更にはインド、オーストラリア、カナダ、ニュジーランド、南アフリカで時の試練に耐え、磨かれた現在我々が知っている英語は、英語を話す人々の間では少数派になるだろうというものがあります。それ以外の”英語”が常に形成されています。その中でシンガポールのシングリッシュ (Singlish) が良い事例を提供しています。シガポールでは150年以上英語が使われ、1958年の独立後も英語はビジネス、政府の公用語となりました。その理由の一部には、英語は中国系、マレー系、インド系などの多様な国民を結びつけているという事実があり、又、その他に商業的、財政的重要性を英語が備えているということもあります。公的な英語とともに、シンガポールでは言語的に成長し広がりを見せているシングリッシュを耳にすることになります。シングリッシュは英語が将来歩むであろう方向性を提示していると考える言語学者もいます。非常に多くの点でそれは公用語としての英語よりもシンガポール国民の伝統や声の抑揚に合致しているので、英語に取って代わる脅威となり得るのです。しかしながら、それはそもそも英語の一方言といえるのかもしれません。

 シングリッシュには英語から借用した語彙もありますが、同様にマレー語などからも、’habis’  (finished)、’cheem’ (difficult)、’makan’ (to eat,meal)  のような言葉を取り入れ、その一部はシンガポールの標準英語として認められ、将来それを大きく変えることになりそうです。シングリッシュでは名詞の複数形や時制の分野で過去形を使うかどうかは単に話者の選択の問題となり、従って、’What happen yesterday?’、’Got so many car.’、などもOKとなり、’to be’  も同様なので、’She so pretty.’、’That one like us’  のように使われることになります。

 英語が世界的に広がれば広がるほど、それはより多様化し断片化する傾向にあります。かつて一つの素晴らしい言語的帝国を統合していたラテン語がイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語(それらはスペイン語とポルトガル語を除いては、お互いに即座に理解できる関係にはありません)へと分岐したように、英語の将来も、単一の言語ではなく、多くの言語の生みの親となる言語になりそうです。

 このシリーズの第7回で登場したノア・ウェブスターは既に200年以上前にこのことを予測していました。彼は1789年に、「新しい国家であること、国民の新たな連携、ヨーロッパにいた時には全く無関係だったグループ相互の交流、芸術や科学の分野での新しい考え方の統合といった多数のアメリカ特有の要因は、アメリカ英語の中に多くの新しい語彙をもたらすでしょう。これらの要因が時の経過の中で、(英語と同じくゲルマン諸語に属する)ドイツ語と現代のオランダ語、デンマーク語、スウェーデン語が、若しくは、それらの言語間で異なるように、未来の英語とも異なる北アメリカの言語(米語)を生み出すでしょう。」と述べています。

 スウェーデン語がドイツ語と異なるのと同程度に英語とアメリカ英語が異なることになるであろうというウェブスターの予測は今だ実現していませんが、その見解は多くの支持者を集めていて英米の言語面での相違が拡大しているようであるのは間違いありません。

 更に、英語の未来は英語のネィティブスピーカーではなく L2 (Language 2、第2言語として英語を使う人)スピーカーが握っていると考えている言語学者もいます。例えば、規範的英語では、’talk about something’ (ここでは talk  は自動詞)、’discuss something’  (ここでは discuss は他動詞)となりますが、ほとんどすべてのL2スピーカーは  ‘discuss about’  と言います。この使い方はいずれ”規範的”になりそうです。更に、’have you?’、’haven’t you?’、’could you?’、’couldn’t you?’、’won’t you?’、’didn’t you?’ などのややこしい英語の付加疑問も単純化しそうです。ある学者は、’nesspa’  がそれらの大半を置き換えるだろうと予測しています。 ‘Innit?’  (そうだよね)

 インターネットは英語とともに広がり現在そこでは150の言語が使われていますが、今もその70%以上は英語です。そこから新形式の英語が基本的には過去の時代からの復活として出現しました ー それがテキスト英語です。以下はその例として2003年初頭の Gardian 誌に ‘English as Foreign Language’ ((英国人にとって)外国語としての英語)というタイトルの記事に登場したものの一部です。

     Dnt u sumX reken eng lang v lingwindd?  2 mny wds & ltrs? 

     ?nt we b usng lss time & papr?  ? we b 4wd tnking + txt? 

     13 yr grl frim w scot 2ndry schl sd ok. ………

私にはほとんど暗号としか思えませんがこれもまたもう一つの英語で、ほとんどが若者であるユーザーにとっては完全に理解可能であり、従って英語の将来に影響力があるのです。今や ‘i luv u’  は  ‘I love you.’ よりも一般的となり、これらのテキス表現についての辞書が既に存在しています。一見するとこのテキストはかつての古ゲルマン語の一方言とそれほど違いはないようです。そしてこれは不思議なことではありません。何故なら、最先端のスペシャリストにとって技術的に最新の書き言葉であっても、それらは1500年前にフリースラントからもたらされた語彙に根ざしているからです。 

 今や、英語の語彙に関する数百の辞書が溢れています。この The Adventure of English が出版された2003年の時点で新たに Oxford English dictionary に掲載された ‘blog’  などは既に一般的な言葉になっています。又、同じく2003年には今後掲載予定となっていた ‘google’  なども OALD (Oxford Advanced Learners Dictionary) の 8th edition  (2010年~)には掲載されています。

 冒険 (adventure)   には終わりがあるべきかもしれません。 しかし驚きに満ちた、そして感動的な英語という言語の旅に結末はありません。 - 小さな湧水は思考、詩、そして科学を記述する河となり、宗教、政治、産業、金融、科学技術という大海へ至り、更に、これらの大海は好む者にも、同様に好まざる者にも等しく英語を浴びせた嵐によって大きく揺らぎました。英語は、ちょうど英語自身がゆっくりと、しかし大胆に大ブリテン島で進化を始めて以来他の多くの言語と向かい合い、それらから試練を与えられると同時に語彙等を吸収してきたように、他の言語が相対し、ゆがめ、適応させ、そして発展する原因となった言語です。今も英語は成長しています。毎年、数千の語彙が英語の辞書の編纂者に検討され、採用されるべく列をなしています。もし生活を映し出す鏡と言える辞書の守護者達が OK  と言えば、それらの語彙はその発明の才、公平な源泉、多様性、豊饒性、そして神髄の何たるかさえほとんど想像の域を超える言葉の貯蔵庫、歴史の中へ入っていきます。

 

 現在の日本では”英語”と”グローバル化”という二つの言葉はあたかも不可分のようです。当然のことですが仮に世界中の人が英語を話すようになったとしても、それだけでグローバル化が達成される訳ではありません。このグローバル化が経済の分野だけではなく、文字通りたった一つの地球を様々な民族的、文化的、言語的背景を持つ人類全体がより高いレベルで共有し、そしてこの星で全員が幸福に共棲することを意味するのであれば、現時点でも山積であり将来においても無限に発生するであろう国際的、民族的レベルの問題点、対立点、そして紛争等を一つ一つ解決しなければなりません。その際、事実上の世界標準言語となった英語がコミュニケーションの手段として重要な役割を果たすであろうことは間違いありません。上述した問題点を解決する過程で相互の歩み寄り、妥協が必要となります。しかしこれまで見てきたように、”英語”が危機を乗り越え発展していく歴史の中で機能した、”開放性、吸収性”そして“柔軟性”を人類が忘れない限り道は開けるはずです。真のグローバル化という永遠の目標を目指す”冒険”を実り多いものにするために。

 

ここまでお読み頂きましてありがとうございます。

                               平成26年1月13日

                               大竹 清史

 

 尚、このシリーズの第1回の最後に、目次として各回のタイトルと概要を追加しました。又、次週より英語の文章を正確に読むことを目的とした「英文解釈の思考プロセス」という新しいシリーズが始まります。